行基と山中温泉

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山中温泉との関係性

【 行基・伝説 】−天平年間(729〜748年)、行基菩薩が菅生石部神社(石川県加賀市:加賀国二宮)に巡錫で訪れた際、東南の空に紫雲たなびくのを見つけ、その源を目指し山中に入り込むと、1人の老僧が出現し、この谷の奥に霊泉があり、どの様な病気にも効果があるので、あなた様がこの事を世に広げてほしいと懇願し姿を消しました。行基は地元の地侍である狩野遠久に頼み、源泉までの道を切り開き、温泉場を整備し一宇を設けると、霊夢に先日あった老僧が出現し、私は薬師如来瑠璃光如来で、この温泉を守護し病で困っている人を助けたいと告げました。行基は霊夢で見た薬師如来瑠璃光如来を模した高さ9寸の仏像を彫刻し、本尊として安置すると、温泉場(湯壺)を「紫雲の湯」と名付けたと伝えられています。この由来は、行基が設けた草庵がやがて日本三大温泉薬師の一つに数えられる医王寺として発展し、寺宝として伝わる「山中温泉縁起絵巻」に記載されています。因みに日本三大温泉薬師は医王寺の他、草津温泉群馬県草津町)の光泉寺と有馬温泉兵庫県神戸市)の温泉寺と指し、何れも行基が関わった寺院とされます。同じ石川県加賀市にある山代温泉は神亀2年(725)に行基が発見したとの伝承がある事から年代的にはやや異なります。

山中温泉   山中温泉

【 行基・実・年表 】−天平2年(730)、摂津国西成郡(大阪府大阪市)に善源院とその尼院、摂津国兎原郡(兵庫県芦屋市・神戸市)に船息院とその尼院、摂津国嶋下郡(大阪府茨木市・摂津市・吹田市)に高瀬橋院とその尼院を起工。天平3年(731)、摂津国河辺郡(兵庫県川西市・伊丹市・尼崎市・宝塚市)に楊津院、崑陽施院、河内国丹比郡(大阪府松原市・大阪狭山市・堺市東区・堺市美原区)に狭山池院とその尼院、山城国紀伊郡(京都府京都市)に法禅院、山城国葛野郡(京都府京都市)に河原院、大井院、山城国乙訓郡(京都府大山崎町)に山崎院、隆福尼院を起工。天平5年(733)、河内国茨田郡(大阪府守口市・門真市)に救方院、薦田尼院を起工。天平6年(734)、和泉国和泉郡(大阪府和泉市・泉大津市・岸和田市・泉北郡忠岡町)に隆池院、和泉国大鳥郡(大阪府和泉市)に深井尼院、山城国愛宕郡(京都府京都市)に吉田院、摂津国住吉郡(大阪府大阪市)に沙田院、呉坂院を建立。天平9年(737)、和泉国大鳥郡(大阪府和泉市)に鶴田池院、大和国添下郡(奈良県奈良市・大和郡山市・生駒市)に頭施院・尼院を起工。天平12年(740)、山城国相楽郡(京都府笠置町・和束町・精華町・南山城村)に泉橋院、隆福尼院、山城国紀伊郡(京都府京都市)に布施院とその尼院を建立。天平15年(743)から奈良東大寺大仏建立始まる。天平17年(745)に大僧正となり、平城遷都、大仏鋳造を再開に尽力、摂津国西成郡(大阪府大阪市)に大福院とその尼院、難波度院、枚松院、作蓋部院を建立。天平21年(749)に死去。

【 場  所 】石川県加賀市

【 概  要 】−その後、承平年間(931〜938年)の争乱に巻き込まれ山中温泉は荒廃しましたが、鎌倉時代に入ると地頭として当地に配された長谷部信連(後裔は加賀藩の家老で加賀八家に数えられた長氏)により再興されました。山中温泉の功能が広まると、文明5年(1473)には布教と湯治を兼ねて蓮如上人も来訪し、江戸時代には温泉嫌いだった松尾芭蕉が泉質を絶賛し「山中や 菊は手折らじ 湯のにほひ」の句を残し9泊8日という奥の細道では異例の長期間滞在し、草津温泉(群馬県草津町)、有馬温泉(兵庫県神戸市)と共に「扶桑三名湯」としています。

【 行基・周辺・史跡 】−薬師山医王寺(石川県加賀市:行基が開創)・薬王院温泉寺(石川県加賀市:行基が薬師如来像、日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像を彫刻し一宇を設けて安置)・山代温泉(石川県加賀市:行基が発見)

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※ 「行基菩薩と温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論ばかりなので最終的の責任は負いかねますので、問題等ありましたら自己責任でお願いします。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。